「モトさん愛」を叫びたくなりました。

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なぜか…日本代表で輝けなかった5人の名手(1)。最強ドリブラー! だけど…全くアピールできなかったのは?

日本代表にはこれまで数多くの選手が名を連ねてきた。しかし、当然その中の全員が活躍できたわけではない。クラブで絶対的な存在になりながらも代表では…という選手も実に多い。今回は、選手層が厚すぎるがゆえに日本代表で活躍できなかった選手を紹介する。

あの名門で10番を背負ったが…

MF:本山雅志
生年月日:1979年6月20日
日本代表成績:28試合0得点5アシスト

1999年に開催されたU-20世界選手権(ワールドユース)で、本山雅志は日本代表の一員として準優勝に貢献。小野伸二と共に大会ベストイレブンに選出された。また、高校卒業後に入団した鹿島アントラーズでは2002年に名手ビスマルクから10番を継承。最終的に18年在籍し歴代4位となる公式戦498試合に出場するなど、名実ともにクラブのレジェンドとなっている。

と、年代別代表や鹿島で確かな存在感を示してきた本山だったが、日本代表で輝きを放つことは残念ながらなかった。2000年にデビューを果たしたが、当時のライバルは小野、中村俊輔、服部年宏、三都主アレサンドロなどかなり強力であったため、代表では居場所を築けず。フィリップ・トルシエ監督の元迎えた2002年の日韓ワールドカップメンバーからは外れている。

日韓W杯が終了しジーコジャパンが誕生してからはまずまずの出番を得られるようになり、2004年のAFCアジアカップにも参戦した。しかし、なかなかゴールを奪えないなどアピールには失敗。結局、日韓大会に続き2006年のドイツW杯行きも逃すことになった。その後は招集されることなく、鹿島のレジェンドMFの代表キャリアは28試合0得点で幕を下ろすことになっている。

フットボールチャンネルより
https://www.footballchannel.jp/2021/11/19/post445251/

なんだろう、本当に悔しい記事です。

本山雅志みたいな10番はそうそう出て来ないですよ。

監督との相性が大きかったと思います。正確には監督の作りたいサッカーとの相性かな。
ドリブラーと記述されてますが、ドリブルもできてるしパスも出せる。
しかもそれが平均以上ではなく、最高レベルでできてしまえるのが本山雅志でした。

クライフみたいなプレイスタイルでした。

パサーは足が遅かったり、ドリブラーはパスが苦手だったりするのに、
本山雅志は足が速くてドリブルも巧くて急所を突く長短のパスを出せる選手。

こんな選手は他にはいませんよね。

病気などがなければヨーロッパで活躍していたはずの男なんですよ。

たしかに79年組は才能の宝庫であり、そのちょっと上には中村俊輔選手という10番がいたし、さらに中田英寿氏がいたのは事実ですが、
必ずしもその牙城を崩せなかったわけではないと思うんですよね。
アピールに失敗と書かれてますが、全然そんなことなかったと思います。(ひいき目ありで)

攻撃的MFとしてすべての能力を持った男が本山雅志でした。

彼に相応しい背番号はやっぱり10です。

本当に最高の鹿島の10番でした。

 

この記事のシリーズでは新井場も扱われています。

監督によって才能が活かされないケースがあるっていうのは、

今の森保JAPAN以前から続いているんですよね。なんとも残念な話です。

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