激震の発表から一夜明けて

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鹿島、強化責任者の鈴木満氏が勇退 ジーコイズム継承、20冠の立役者 3季連続無冠に「責任は大きい」

サッカーJ1・鹿島は25日、強化責任者でフットボールダイレクターの鈴木満氏(64)が退任し、強化アドバイザーに就任すると発表した。後任は吉岡宗重氏(43)が内部昇格する。鈴木氏は、元ブラジル代表MFのジーコ氏(68)からプロクラブの教えを直接たたきこまれ、クラブの要的な存在だった。手塩にかけ、名門に育てたクラブを次世代に託して、第一線から退いた。

常勝鹿島をつくった鈴木氏がチーム強化の第一線から身を引くことが決まった。クラブ創設30周年の今季は無冠に終わり、アジアの大会を含めれば3季、国内に限れば5季優勝から遠ざかった責任を取る形で決断した。「今シーズンも不本意な成績で終わり、強化のトップとして果たせなかった責任は大きいと痛感しています」とクラブを通じてコメントした。

鹿島の生みの親がジーコ、育ての親が鈴木氏だった。クラブの黎明期、ジーコはプロ意識が欠けるチームにしばしば激高したが、罵声の行先は当時コーチの鈴木氏だった。休日関係なく毎日説教を受けた。「朝が来るのが怖かった」と振り返ったが、96年に強化責任者に就任すると「ジーコとの日々があったからやれている」と厳しい指導に感謝することになる。

「損得で決めるな。善悪で判断しろ」を軸にチーム運営にあたった。ある時、ジーコから助っ人の紹介を受けた。とても良い選手とは思えず「取れない」と伝えると、ジーコから「そうだよな、それでいいぞ」と言われた。目上からの誘いでも善悪で判断できるか。テストの意味合いがあった。チーム、選手間のトラブルも主力、サブ関係なく、善悪の目で見抜いた。

不和を呼ぶ選手の派閥ができることはなかった。ブラジル人も真剣にJリーグに向き合った。監督交代によって弱体化しないよう、起用、戦術に踏み込み続けた強化責任者は鈴木氏くらいだ。積み重ねた26年。獲得したタイトルは20を数え、クラブイメージは「一体感」になった。「まんさん」(本名・みつる)と呼ばれ、選手からの信頼も厚かった。今後は、一歩下がった位置から、鹿島をサポートしていく。(内田 知宏)

◆鈴木 満(すずき・みつる) 1957年5月30日、宮城県仙台市生まれ、64歳。宮城工から中大を経て、鹿島の前身、住友金属蹴球団に入部。引退後に鹿島のクラブ立ち上げに関わり、トップチームのコーチを務めた後、1996年から強化責任者を務めた。2014年からは日本サッカー協会の技術委員。

スポーツ報知より
https://hochi.news/articles/20211225-OHT1T51186.html

昨日は犬飼の完全移籍、生え抜きのヤスの完全移籍、樋口の加入というニュースがあり

クリスマスに樋口獲得というニュースで喜びたいのに、無邪気に喜べない状態になり

さらに、トドメが鈴木満氏の退任というニュースでした。

ローキックで完全に動きを止められた後に、綺麗にハイキックで倒された感じのダメージでしたね。

クリスマスに発表することじゃないんじゃないかと思ったんですけど、どうでしょうか。

鈴木満氏の強化責任者としての仕事は
「え?なんで?」っていう選手を獲得して来て、結局微妙なままで終わったという例も多かったものの
それでも鹿島のサッカーに合うビスマルクや奈良橋と言った優れた選手を獲得して常勝チームを作ったり、
79年組を中心にリーグ三連覇を達成したり、
数々の栄冠を掴むことができました。

やっぱり20冠を獲れたのは鈴木満氏の功績でしょう。

なんてったって96年に強化責任者となって、その年にリーグ制覇をし、20冠を獲得ですからね。

なので、
一晩経過して、このニュースを見て、やっぱり来季以降に不安を覚えています。

スポンサーとしてメルカリ資本が入って来て、さらにメルカリが鹿島アントラーズを買収し、
ユニフォームの色が明るくなったり、どんどん常勝鹿島のイメージが薄れて行くここ数シーズン。

新社長がいろいろと刷新を図ろうとする気持ちは分かるものの、
イメージカラーが徐々に変えられることであったり、勝ち切れないシーズンが続いた中で
鈴木満氏の退任は不安があります。

鹿島アントラーズが鹿島アントラーズらしかったのは、鈴木満氏の色が強かったわけですからね。

新しい強化責任者の手腕に期待して信じるしかないですが、しっかりと勝てるチームを作り上げて行って欲しいと思います。

欧州路線への変更はいいですが、礎まで壊すようなことが無いようにしていただきたい。

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